2009/09/11

七転八倒006


http://www.icc-jp.com/toru/

アツイ・・・ムシムシする・・・夜なかなか寝付けない・・・朝暑くて目が覚めてしまう・・・結果、眠い・・・ので余計に暑さがこたえる・・・。そんな負の連鎖が続く「お盆ウィーク」真っ只中。雑誌の特集の入稿を月末にひかえ、周囲のダルんとしたムードとは裏腹に俄かにザワザワざわめいてきた。机の上のコンピュータの回転数もあがりファンからは熱風を吐き出している。

そんなどうにもこうにもならない暑さから一時逃げ出して、話題の映画「サマーウォーズ」を観てきた。これがアニメーションと侮ることなかれ、なかなかの力作だったのだ。細部にわたってIT化された社会で、そのインフラを管理するバーチャル空間でサイバーテロが発生、フィジカルな社会に様々な問題を起こし都市機能をマヒさせる。高校生の主人公を中心とした田舎の大家族が力をあわせてその解決に立ち向かう・・・ネタバレしないようにざっくりいうとそんなストーリー。

最近の傾向としてこういった二つの世界のズレやギャップに翻弄されるといったテーマが多い気がする。この「サマーウォーズ」しかり、村上春樹の久々の長編書き下ろし小説「1Q84」も「涼宮ハルヒの~」も2つの世界の断層が物語の根幹を成している。インターネットの普及により、ブログやSNSといった実社会のサブ的な世界を多くの人が持つようになった最近の世情を反映しているのだろうか?

先の秋葉原の無差別殺傷事件の犯人のように、派遣契約を一方的に解除されたと思い込んだあげくその心情をブログにアップデートしながら、最終的にはそのコミュニティでも排他されてしまったと感じ、あの様な惨劇に及んでしまったという状況もある。実社会で適応しない場合の一種のシェルターとしてインターネットコミュニティが機能している。これは一見有効とも思えるけれど、秋葉原の彼のようにそのインターネット空間でも排除された場合、居場所のない孤独感は倍増してしまう。

インターネット以前であれば、生まれ育った土地を飛び出して生活環境をリセットすることも容易だったのが、今となってはどこにいても同様のインターネット空間がついてまわる。そこでは過去の事象も現在の事象も等しく存在する。たとえば、mixiやFacebookといったSNSコミュニティを通して小学校の同窓会を構成することも可能だし、そこで初恋が再加熱なんてこともあるだろうし、イジメの記憶が蘇ることだってあり得る。ぼくらが成長過程でうまいことフォルダ管理しているパーソナルな記憶はインターネット上では整理されずに並列に存在している。しかも永遠に。

良くも悪くもぼくらはこの実社会とインターネット空間という二つの世界と同時並行して付き合っていかなくてはならない。その二つの世界に主従関係はなく、双方がお互いを補完しあいながらも個々独立してぼくらの日常に等価値で存在する。物理的な空間を移動しながら、RSSフィードを巡回し、twitterでつぶやき、blogで語り、同時に複数の世界を日常的に切り盛りしている。過去のノウハウはすぐに通用しなくなってしまう。システムが変わり、ルールは変化していく。

「ネットサーフィン」とはよく言ったもので、刻々と変化する状況に瞬間瞬間で対応することを余儀なくされる。後戻りはできないし、判断を誤れば波に飲み込まれてしまう。せわしない世界だがぼくらに選択の余地はない。